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挫折ばかりの僕のコーダー人生を晒します
目次
フリーランスコーダーの五平餅くんです。
- 1996年6月29日生まれ(本名:山本順貴)
- 岐阜県在住
- 2個下の奥さんと3歳の息子と暮らす
フリーランス歴は5年です。
大学を中退してから浮浪者(フリーター)になり、その後紆余曲折を得てコーダーという仕事一本でここまでやってきました。
2社の会社との業務委託契約で、毎月最低でも50万ほど報酬をいただいています。
おかげさまで家族を養うことができ、マイホームも建てて、自由にのんびり暮らしています。
平日は奥さんとランチに行ったり散歩したり、休日は息子と走り回ってひたすら遊んでいます。
いま、自分の中では最高の人生を送ることができています。
でも、ここに来るまで数々の大失敗を経験してきました。
今回はそんな僕の挫折ばかりのコーダー人生を晒していきます。
幼少期〜大学時代:好きなことをたくさんさせてさせてもらえる毎日
母子家庭の末っ子で、かわいがられながらたくさん甘えさせてもらいました。
いい意味で放置されてきて、なんでも好きなことをしてきました。
バスケ、ベース、読書など、僕は好きなことを親に一切咎められることなく好きなだけ取り組みました。
失敗も成功もないまま高校生を卒業して、大学生になると応援団に入団しました。
応援団といいますと、イメージするのは学ランをきて「フレーフレー」とか叫んでいるやつらだと思います。それを僕もやっていました。
応援団の活動は本当に楽しかったのですが、この時フリーランスになると決意したある出来事がありました。
大学中退。就職を諦める。
応援団の活動でOB(同じ部活の卒業生)の方と会合があった時でした。
体育会系なので、たくさんのOB先輩方に自分から声をかけて、お酒を入れて、楽しませなければならないのが現役の団員です。
かなり張り切って臨みましたが、いざ会が始まると僕の心臓はバクバク鳴り出し、足はすくんで立ち尽くしてしまいました。
会話をしても続かない。覇気がなく声が小さいと言われ、何も手応えがないままその会合は終わりました。
一番偉いOBの方によると、こういった会合は会社に入ると当たり前で、気遣いやうまくやっていくための勉強だそうでした。
でも、結局4年生になっても最初の時とほとんど変わらず、相変わらずお話には行けないし、話しかけていただいても会話が続かないし、相手も気まずそう。
「おれ本当に就職できる?」
そんな懸念が頭をよぎりました。
しかも、単位も全然取れてなく、卒業すらできない状況に。
「これはもう詰んだのではないか。」
結局大学を中退するより他なかった僕は、自分ができそうな仕事を探し始めました。
コーダーならできるかも!
ある日、大学を中退してフリーターになった僕は、家でできる仕事があることを知りました。
しかも対人スキルは程々でよく、黙々と作業をして稼ぐことができるという最高の仕事です。
それが、コーディング。
デザイナーさんが作ったWebサイトのデザインを、パソコンとかスマホで表示できるように組み立てる仕事でした。
早速奥さんに連れられてパソコンを買いに行き、勉強を始めました。
収入面ではかなりきつかったですが、勉強は楽しく、毎日何かを作れるようになることが嬉しくて、刺激的な毎日でした。
何かを作り終えると「雪音ちゃん、みて!」とパソコンを持って奥さんの元に走っていき、褒めてもらったりでそれはそれは新鮮な毎日でした。
そして、ある程度技術がついた段階で、五平餅くんとしてランサーズに登録し、一ヶ月ごろ経った後に制作会社から声をかけていただきました。
簡単なLPをお願いしたいとのことでお話をいただき、絶対にモノにするぞ!と意気込んで初案件が始まりました。
ここで信頼を勝ち取り、継続して案件をいただいたり紹介していただいたりして、コーダーとして軌道にのる予定でした。
でも結果は、、、
ボロボロのコーディング初案件。落ち込みの極み。
一年くらい勉強を頑張ってきて1からサイトを作れるようになってきたので、実力はそこそこあると思っていました。
いただいたLPのレベルとしては簡単なもので、制作会社の方に「余裕ですか?」と聞かれた際も「はい!」とか調子に乗って答えていました。
しかし、仕事に取り組むやいなや、自分には知らないことが多すぎることを知りました。
「FTPって何?」
「ブラウザ確認?Chromeしか確認したことない。」
しかも途中で仕様変更がありデザインがガラッと変わったりして、焦りまくりです。
納期が近づいてきて、大して確認もしないままなんとか仕上げて「ご確認のほどよろしくお願いいたします!」なんて連絡を入れてしまいました。
当然結果は、デザインとズレまくりです。
どのくらいズレていたかというと、中央揃えテキストなのに左揃えにしていたり、途中めちゃくちゃ長い余白が出てきたり、文字サイズが小さかったりです。
それを制作会社の社長さんに指摘されて、1年間勉強を頑張って技術を身につけたはずなのに、自分の実力がまだ実務レベルではなかったことを情けなく思いました。
当時を思い出すと、かなりやばいコーダーだったと自覚しております。
「コーディングってこんなに大変なのか。」
練習や勉強しかしていなかったので、実務のコーディングを舐めていました。
そんな自分が恥ずかしく、落ち込みから抜け出すことができません。
でもとにかく納品しなければならないので、やるしかありません。
制作会社からするとかなりハズレのコーダーを引いてしまったはず。
でもその会社の社長さんは、「時間がかかってもいいので、一つ一つしっかり確認してみてください。」と粘り強く丁寧にご指南くださいました。
修正を繰り返して繰り返して、、、簡単なLPを納品するのになんと一ヶ月もかかりました。
後日、納品後に直接お会いしてお話しさせていただく機会があったのですが、その時「確認作業を怠ると修正が増えて結果的に完成が遅くなる」という経験則を教えていただきました。
業務委託先の会社さんにとってお客さんへの最終的な提出物は、コーディングされたサイトです。
大して確認しないでコーディングしたものはミスや崩れが頻繁に起きているものです。
業務委託先の会社さんがそんなものをお客さんに見せると信頼を失います。
その日以来、常に確認を怠らないことを心に誓いました。
もう一度、コーディングを1から勉強し直し、軌道に乗り出す
あんな散々な初案件だったにも関わらず、制作会社の社長さんは僕に本を購入してくださったりして、もう一度ちゃんと勉強し直すよう勧めてくださいました。
しかも時々、納期が決まっていない、勉強になりそうな仕事ならご依頼いただいたりして、勉強の機会をこれでもかというほど与えてくださいました。
「この社長さんのもとで実力をつけて、ミスを一つも指摘されず、安心して仕事を任せてもらえるコーダーになるぞ」
熱い思いをコーディングにのせて、毎回の勉強やコーディングに励みました。
そうした恵まれた環境の中、一年後には新しい制作会社さんとも業務委託契約ができ、この2つの会社の下でコーディングのお仕事を続けました。
新しく契約できた制作会社はすごい数のお仕事を抱えており、お願いできるコーダーがいないからと僕に全振りしていただいたおかげで、かなりの場数を踏むことができました。
しかも結構難易度は難しめで、できるかどうかわからない案件にも果敢に挑戦していく中で、かなりの経験と実力がつきました。
僕は初案件で確認の大切さを教えていただいたので、そこらのコーダーよりはしっかりしたものを納品し続けるため、信頼していただいてもっとお願いしたいとどんどん仕事をいただけるようになりました。
初めてクライアントから信頼されたことの喜びから、「自分がやってきたことは間違いじゃなかったんだ」と自信がつきました。
その会社からいただく大きな難しい案件に挑戦させていただく度に、もっと頑張りたい、もっと力になりたいという気持ちになりました。
その頃には子供も生まれており、フリーランスのお仕事で家族を養っている誇りを感じて、もっともっと収入を増やして家族を楽にさせてあげたいと思いました。
しかしその結果、僕にまたもや試練が襲いかかりました。
睡眠3時間。仕事14時間。
この頃には月収20万〜30万で、毎月カツカツでしたが楽しい日々を送っていました。
しかし、子供が大きくなるに連れて、必要になるお金はどんどん増えていきます。
また、思い切ってマイホームを建てる計画も始めました。
そうすると、ローンのために収入を上げることは必須条件になり、生活費も考えると、毎月の収入にプラスで20万ほどは必要になってきました。
そのため、新しい会社と契約することになりました。
この新しい会社とは、時給制での報酬形態での契約をしていただきました。
簡単だけど正確性が求められるコーディングをできる人を探しているとのことで、確認に力を入れていた自分にとってはぴったりの条件でした。
しかも報酬は毎月25万ほどで、今契約いただいている会社とのお仕事を続けながら新しい会社と仕事を続ければ、毎月50万円は確定しました。
そうして新しい生活が始まりました。
朝10時から16時は、時給制の会社で働く。
17時から20時は家族の時間で21時に息子が就寝するとその時間からまた仕事を始める。
3時くらいに就寝して、また6時か7時に目覚めて家のことをする。
さらっと書いていますが、ざっくり計算すると睡眠3時間、仕事は14時間もしていました。
お金の面では安定したのに、毎日眠そうで妻のことも全然見ていないし、息子との遊びにも全然集中していません。
心が不安定で、夫婦喧嘩は多くなるし、家の中の雰囲気も重苦しい。
平日は毎日仕事、土日もお出かけの合間を縫って車でお仕事。パソコン常備。
「頑張っているのに何故か満たされない。」
「でも、せっかく得た安定収入を捨てるのは怖い。」
徐々に元気がなくなって毎日暗い顔の僕を見て、妻は、「安定収入がなくなっても絶対に収入は落ちない。大丈夫。」と言い続けてくれました。
それでも家族の幸せのために、頑張って安定した収入を得ていく道を諦めることができませんでした。
3時間睡眠で毎日無理をして、自分の好きなことも我慢して、家事も育児も頑張る生活を1年間続け、
それでも仕事では絶対に手を抜かないと決めていたので、休まる時間は束の間の睡眠時だけです。
そしてついに限界がきました。
円形脱毛症がいくつもできたり、突然倒れそうになったりで、健康面でもかなりの影響がではじめたのです。
安定を捨てる
自分と家族を優先するため、時給制の会社に思い切って契約を終了したいという連絡をしました。
すると、すごく残念がっていただきましたが、「真面目な山本さんならこれからどんな仕事をするにしても絶対大丈夫。応援しています。」と明るく送り出していただきました。
僕は収入が下がるのを覚悟していました。
でも、不思議なものでほとんど下がらなかったのです。
僕は時給制の会社を1年間続けながら、空いた時間で業務委託契約をいただいている2社との仕事を続けてきました。
かなりの量をこなしていたことが、コーディングスピードの飛躍につながり、しかもミスや見落としを防ぐためのチェックシートを日々作り直していたので、コーディングの質も一年前とは比べ物にならないものになっていたのです。
フリーランス1、2年目の時からお世話になっている2社の制作会社も時給制のお仕事のことは話していたので、「契約が終わったのならぜひ!」とたくさんのお仕事をご依頼いただけるようになりました。
だからと言って、また無理をしているわけではありません。
しっかり睡眠は取れるようになり、休日もちゃんと休みます。
平日は仕事ですが、月一のデートと時々のランチで楽しく頑張ります。
朝家族が起きる前に瞑想をしたり、日記を書いたり読書をしたりで自分を癒すことも怠りません。
休日は仕事をほとんどしなくなり、家族と全力で遊ぶだけです。
仕事の時は仕事のことに集中し、奥さんとの時間の時はその時間に集中し、息子と遊ぶときは遊びを心から楽しみます。
早朝や寝る前の自分の時間はゆっくり何もしないで心を落ち着かせます。
そして夢のマイホームを建て、自分専用の書斎を作らせていただきました。
フリーランスパパとして、今までで一番最高な生活を手に入れることができたのです。
手を抜かず無理もしないコーディングスキルを手に入れる
人生の目的は、全てをやりとげることではなく、その一歩ずつの過程を楽しみながら、愛情のある暮らしを送ることにある。
リチャード・カールソン著『小さいことにくよくよするな!』
僕は今、子供が生まれてから失われてしまった奥さんとの関係性の修復と、息子へ人生の楽しさを伝えること、質の良いWebサイトを創りつづけ、依頼いただいた会社の売上UPに貢献し続けることをミッションとしています。
自分を大事にし、心と体をいたわることも最重要事項です。
かつて張り切りすぎて急いでずれまくったコーディングを提出した僕でしたが、正確性のあるコーディングスキルを身につけ信頼を得たことで収入も安定してきました。
そしてその後、仕事で完璧を求め、家族のためにがむしゃらに働きリラックスすることを忘れた僕でしたが、今では姿勢正しくストレッチしながらコーディングに励み、家族の時間は家族の時間だし、仕事の時間は仕事の時間とメリハリをもって仕事に取り組むことができるようになりました。
コーダーというポジションはWeb制作の最終工程なので、責任も大きく納期も短い傾向にあり、修正も多くなりがちです。
そんな中世の中にはすごいコーダーもたくさんいて、ひたすら速い方や、技術力が圧倒的な方、コミュニケーションスキルが到底及ばない方もいます。
でも、目の前のクライアントのために質の良いものを創り、無理をしすぎないやり方を探していくことが、コーダーとしての人生を歩んでいく中で何よりも大事だと感じています。
自分を大事にして、落ち着いて効率よく正確にコーディングするために、詰まった時の解決策や、上手にコーディング確認をするテクニック、手を抜かず無理もしない生き方について発信していきます。
コーディングは、そんなに大変である必要はありません。もっと力を抜いて、リラックスして進めていきたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。