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名誉は時に人を傷つける

輝かしい応援団団長から無名フリーターへの転落日記

大学時代は楽しかった。

授業はまともに聞かず応援団の準備ばかりした。

他大学の応援団の動画を漁って振りを学んだり、部室にある応援団の写真や記録を見たりで応援団のことばかり考えていた。

授業はサボるのに練習だけはいく。
土日はバイトがあるなしに関わらず応援の日程を詰め込んで、できるだけたくさんの試合に出向いた。

途中で留年が確定した。

でも、応援団のために大学を続けた。

授業は退屈すぎて耐えられなかったが、応援団にだけは情熱を注げた。

最高学年になると、第60代団長という役職をいただいた。

心から尊敬する同期がいて、練習熱心でやる気に満ちた後輩達がいて、毎回応援や演技を見に来てくれる彼女がいて、本当に恵まれていた。

いま振り返ってみると単に運が良かっただけだったが、当時は名誉ある応援団団長の自分には自信を持っていた。

最後の演武会ではたくさんの人に「いい演技だった」、「いい演武会だった」と言っていただいた。

有終の美を飾って卒団できたことを誇りに思った。

さて、ここからが本題です。

そんな僕の名誉は、最後の演武会である2018年11月25日に消えて無くなりました。

今考えるとそんなものは単なる名前であって、一日で消えてなくなるほどの脆いものだったのだと思います。

僕はその日から普通の大学生に戻り、留年確定という現実が待っていました。

応援団第60代団長からただのクズ野郎に戻ったのです。

僕がすごいのではなく応援団の僕がすごいのだと悟り、僕は燃え尽き症候群から過度な落ち込み状態になりました。

留年する金などなく退学を決意。

しかしどんな仕事も僕には無理そうでした。

営業職は対人スキル0のためまず除外。事務職は性に合っているけどつまらなさそうだから3ヶ月くらいで辞めそう。

どんな仕事も出来なさそうでした。

僕は社会に必要ない。社会に何も貢献できない。役立たず。クズ野郎。
自分を責め続けました。

応援団の名誉があったせいもあって余計に落ちていきました。

そんなある日、彼女にプログラミングを勧めてもらいました。

結構楽しいし、仕事になるらしいし、性に合っていると感じました。

彼女のおかけで、僕は徐々に落ち込み状態を解消していきました。

それでも僕は、ただ肩書きを求めていただけでした。

あの時消えて無くなった名誉がもう一度ほしかった。

表面で取り繕うことができる名誉なんて、また1日で消えてなくなるに違いないのに。

名誉よりもっと大事なもの。
それは自分の精神を鍛え上げることなのかもしれない、と今では思います。

名誉は自分の意志で無くなることを防げないけど、自分の精神力は自分の意志次第。

人から奪われたり、特定の時間が経ったら消えて無くなったりしない。

強い精神力があれば、名誉など必要ない。

自分に満足しているから他人のことなど気にしない。

肩書きで人を判断しないし、肩書きで自分を判断してくる人のことなど相手にしない。

僕が次に目指すのは、更なる名誉を手に入れることではなく、自分自身を満足させることなのだと思います。

応援団時代の僕は、本当は弱かったのです。

応援団という服を着ていたから強いと勘違いしていただけ。
でも、あの頃の僕は名誉を手にする器ではなかったのです。

なぜなら、名誉が無くなった時、自分がどうなるかを知らなかったのですから。
肩書きが無くなった時、自分があんなにも情けないことを知らなかったのですから。

僕はまだまだ弱い人間です。

まだまだ鍛錬が必要なようです。

人に認められる自分ではなく、自分に認められる自分になる。

生きているだけで滅多にない奇跡であり、価値がある。それを毎時毎分毎秒心に刻まれている自分になる。

社会がどうであっても、人がどう言おうとも、やりたいことをやる。

もちろん節度をもって、だけれども。

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