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なぜ、月収8万円のフリーターが、月80万稼げるフリーランスパパになれたのか

時間に余裕が生まれ、仕事を自由に選べるフリーランスパパに

僕は、ATMの前で絶望していた。

今日は給料日。振り込まれたお金を引き出しにきたところだ。

当時の僕はコンビニバイトで働くフリーター。
銀行口座の残高には、80,000円と記載されている。

そこから生活費を振り分ける。

  • 家賃45,000円
  • 電気代など10,000円
  • クレジットカードの支払い10,000円
  • 食費10,000円

残ったお金はわずか5,000円。これが自分に使えるお金の合計金額だ。

「あんなに頑張って働いたのに、これだけしか使えないのか。。。」

嬉しいはずの給料日が、一瞬で虚しさや絶望感に変わる。


それから5年が経つ。

いまや平均50万円、時には月80万ほど稼げるフリーランスパパになることができました。

5年前にATMの前で絶望していた僕は、いまやこんな自分になることができました。

  • お昼には気まぐれで息子と遊びに行く。
  • 妻にリラックスしてもらうために、時々1日子供を預かる。
  • お仕事では100%の力を注ぎ込み、お世話になっている会社から常にお仕事をご依頼いただける

ここでは、ただの月収8万円フリーターだった僕が、いかにして月80万を稼げるフリーランスパパになったのか、その経緯を残しておきたいと思います。

散歩中のフリーランスパパと息子

地位も名声も手に入れた輝かしい大学時代

僕は大学時代に応援団という部活をしていました。

放課後の練習と週末の応援活動で僕の大学時代は応援団漬け。

そんな忙しい日々でしたが、それでも毎日新しい歴史を作っている実感があり、本当に楽しい日々でした。

4年生の時には団長になり、最後の演舞会では今までで一番良かったと言われるほどのものを創り出しました。

この経験は僕にとって計り知れない喜びがありました。

後輩からも尊敬を集め、先輩や普段お世話になっている人たちにも褒められ、まさに「絶頂の時期」。

地位も名声も手に入れた輝かしい大学時代を過ごした僕は、この後の人生もこのまま輝かしいものになると思っていました。

大学を中退し発達障害の診断結果

僕の最終学歴は高卒です。

実は応援団を卒団した後大学を辞めています。

なぜ辞めたのかと申しますと単純に怠慢です。単位がほとんど取れておらず、留年するお金などなかったので中退するしか手がありませんでした。

4年間通った大学を中退した僕は大卒が入れるような企業に就職などできず、フリーターになるしかありませんでした。

毎日不安に襲われる日々。精神が乱れに乱れて、過去の後悔がフラッシュバックしては、自分のことを責め続けました。

時には自分のことを殴ったり、叩いたり。そんな僕を止めにかかった彼女を押し倒し、怪我をさせてしまったこともありました。

「俺は何か異常な精神病になってしまったのかもしれない。」

そう彼女に告げると、彼女は何も言わず病院に連れていってくれました。

診断の結果、自分は不安症、しかも発達障害だと言われました。

発達障害を持つ人は、社会に適応することが難しいと一般的に言われています。

「そんな俺が、就職してみんなと一緒に働くことができるのだろうか。」

勉強しながらコンビニバイトを始めるも、劣等感の塊のような日々

そう悩んでいると、彼女はパソコンを買いに行くといって僕の手を引っ張り、車に乗って家電量販店に行きました。

そしてパソコンを購入。

妻曰く、僕には人と関わるお仕事ではなく、何かを作ったりする対物のお仕事が向いているとのこと。

そして、

「今の精神状態では会社に入ることはできないから、家で仕事をできるように頑張ろう」

といってくれました。

それは、フリーランスになると決めること。昔から憧れていたフリーランスへの夢に、胸を輝かせました。

僕は、とりあえず学生時代から続けていたカラオケのアルバイトをつづけながら、コーディングの勉強を始めました。

新しい技術への感動、自分で何かを生み出すことへの感動。コーディングを勉強していたときは、本当にワクワクの連続でした。

しかし、フリーランスへの道は楽しいものばかりではありません。

彼女の方が稼ぐ劣等感。大学時代の友人に会って自分のことをネタにする悔しさ。

「早く稼げるようになりたい。」

毎日そればかり考えておりました。

フリーランスでの初めてのお仕事をいただく

一年後、ある程度技術がついてきたので、開業をしました。

ランサーズに登録したら、僥倖に恵まれて同じ県内の会社さんにご連絡をいただきました。

フリーランスになって初めてのお仕事の依頼が来たのです。

僕は飛び上がるほど嬉しく、絶対にものにしようと奮闘しました。

結果、技術不足を痛感する経験になりましたが、初案件を終えて3万円の報酬をいただいた時、この上ない喜びを感じました。

この時からお仕事も徐々にいただけるようになり、一つ一つに向き合って必死で学んでいきました。

フリーランスとして成功したはず。しかし・・・

そして、子供が生まれた頃には、生活費の20万〜30万の収入を安定的に得られるようになりました。

あの頃感じていた家族を養う幸せ・充実感は今でも鮮明に思い出せます。

しかし、子育てにはお金がかかります。月に20万〜30万では全然足りず、もっと収入がないといけませんでした。

開業して3年ほど経ったあたりで、僕は自給制で働く業務委託契約の安定収入が得られる仕事を見つけました。

業務委託契約とは、その会社に属すわけではないけどその会社と一緒に働くという、いわば外注の仕組みです。

自給制なので、働いたら働いた分だけ報酬をいただく契約でした。

かといって会社に属すわけではないので、不安定だと言われるフリーランスのまま、毎月50万円以上の安定的な収入をいただくことができるようになりました。

それは、フリーランスの誰もが羨ましがるようなお仕事。

僕のフリーランス人生はこれで成功した、と思いました。

12時間労働ですり減らす日々。家庭を乱し、パパとしての自信を失う

しかし、またもや壁にぶつかりました。

この頃には60万〜70万を稼ぐ、世間的には成功したフリーランスパパになっていました。

が、この頃僕は1日12時間労働をして稼ぐ、「時間をお金に換算する」スタイルのお仕事形式をとってしました。

10時から17時まで自給制のお仕事し、家族が寝た後に深夜の3時まで別の仕事をする。

朝の8時に起きて10時からまた仕事をする。

お仕事漬けの過酷な日々を送っていました。

家事・育児をやらないパパなら、もう少し楽だったかもしれません。

けれども僕はどうしても家庭を大事にしたかった。

しかし、何もかも大事にしようとした結果、毎日眠そうにしていてへとへとでした。妻との時間もなく、毎日ピリピリした雰囲気が家庭内に漂っていました。

完全にパパとしての自信を失いました。

「夢だったフリーランスで、月に60万円も稼げるようになったのに、何か違う。」

そして僕は、痛感しました。

お金があっても時間がないと余裕は生まれない

思い切って安定収入を捨て、月80万円を稼いだ

そこで、思い切って安定収入を捨てることに。

自給制で働くお仕事の会社と契約を終了させたのです。

働く時間が少なくなったことで勉強する時間が増え、新しい分野のお仕事をいただけるようになりました。

また、気持ちも楽になり、お仕事をいただく会社に対しても感謝の気持ちがさらに芽生えてきました。
「もっと山本さんにお仕事をしてほしい」というありがたい連絡が多数来るように。

そして半年後、僕は月80万を稼げるフリーランスパパになりました。

とはいえ、今度は時間をお金に換算するのではありません。時間を使って無理をしてお金を稼ぐのではなく、本当に大切なお仕事をし、体も大事にしながら余裕を持ってお仕事をしています。

時間に余裕が生まれ、家族も仕事も大事にするフリーランスパパに

平日の昼間から息子と公園に遊びに来ていたとき、時間に縛られない働き方に戻ってきた喜びを思い出し、感動を覚えました。

時間に余裕が生まれたことで、人生がもっと豊かになりました。

パンケーキを作ったフリーランスパパと息子

ところで、パパはいろいろ大変です。

家族を養っていかなければいけないプレッシャーも、毎日の満員電車も、気の乗らない上司との飲み会も。

本当はもっと子供と遊んであげたいし、奥さんとの時間を作ってあげたい。

たまには一人で好きなことを好きなだけやる時間も欲しい。

でも、家族のために我慢をして、無理をして働き続けていませんか。

次々とやってくるタフな選択から僕たちを守ってくれるのは、「自分にとって本当に重要なのはこれだ」という確信である。

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』グレッグ マキューン (著), 高橋 璃子 (翻訳)

このメッセージを読んだ時、僕は自分に問いかけました。「自分はいったい何が一番大事なんだ?」

答えは明らか。それは家族です。

それから僕は一冊のノートを取り出し、今日一番大事にすることを書き綴りました。

今日一番大事にすること

日々のTo Doリストとともに、「今日一番大事にすること」をノートにかく習慣を毎日続けています。

今日一番大事にすることを毎日確実に実行する。これが本当の幸せだと思います。

自分にとって一番大事なものを、いますぐ大事にできないかもしれません。

でも、一番大事なことを達成するために、はいはい歩きでもそこへ進んでいくことが何よりも大切なことです。

グレッグ マキューン氏はいう。

人生はあまりにも短い。それは悲しむよりも、むしろ喜ぶべきことに思える。短い人生だからこそ、勇気を出して冒険できる。間違いを恐れずにすむ。限られた時間の使い方を、よりいっそう厳密に選ぼうと思える。

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』グレッグ マキューン (著), 高橋 璃子 (翻訳)

僕は、あなたに仕事も遊びも自由に選べるパパになってほしい。

自分のような社会不適合者で出来の悪い人間でも、自由に人生を選択できるパパになることができたのだから、頑張っているあなたは絶対に素晴らしいパパになれます。

子供はあなたの背中を見ています。

将来お子さんが大きくなった時に、毎日疲れているパパの姿を思い出しこれからの人生に絶望して欲しいでしょうか。それとも毎日超ハッピーな、幸せそうなパパを追いかけ、自分もパパみたいになりたいと思ってほしいでしょうか。

このお話を真剣に聞いてくださった家族想いで熱心なあなたなので、自ずと答えは出てくるはずです。

僕は、これからもっと自由に楽しく暮らしていけるように、日々少しずつ進んでいきます。

僕もいつもいつも笑っているわけではありません。銀行残高が減ってくるとすぐに不安になります。妻に怒られて凹むこともしょっちゅうですし、家事も育児も失敗だらけです。

それでも、些細なことは失敗だらけだけれども、一番大事にすることは毎日ちゃんと大事にして、安心して眠りにつく。これだけは守ろうと決めています。

これからもこんな毎日が続いていけるようにやっていきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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